仏教の戒律は社会に対していかなる有用性を持っているのか。本論文はその一事例として、在家信者に対してなされた中国北宋期の霊芝元照による戒律講義を中心とし、彼の戒律実践論の特徴を論じる。伝統的な戒律の実践項目は、出家と在家それぞれに歴然たる区別が存在するが、元照が期す戒律の修証は、出家と在家という枠にとどまるものではない。仏教の本旨は「凡およそ心ある者、皆み な当まさに仏と作すべし」という教説にあるからこそ、菩提の成就はすべての人々に保証され、その達成の機縁は行住坐臥すべての日常生活に溢れていると元照は講じる。また、講義録には、菩提を得るうえで戒律の実践は不要であると説く一部の禅宗教団に対する批判的言及も見られ、元照は修と証は一如であり、その両者の密接な関連性を特に強調する。在家社会を対象にした元照の戒律講義を通して、仏教の普遍性と戒律の有用性をひろく社会に敷衍させようとする彼の宗教的信念の一端を見ることができよう。 |