太宰治「きりぎりす」(1940.11)発表後、いち早くこの作品を論じたのは平野謙であったが、彼が見出した「反俗精神」という言葉は、後にはあたかも作品を解釈するキーワードのようになっている。 確かに物語の筋を一読すれば、誰もがこの作品における単純な二項対立的な構図がたやすく読み取れる。だが、逆に言えば、「私小説の演技者」である太宰治にしてみれば、このような<単純明快>な構図は、太宰文学の系譜においてはごく稀なものである。 そこで解釈の新たな鍵として、外部情報である「きりぎりす」の<あとがき>が注目される。そこには太宰にしてはまれな〈自作自解〉が書かれてあるが、そのあまりにも不自然な〈あとがき〉には、太宰が自らばら撒いた「文壇の流行作家何某」の「噂」も触れられている。言ってしまえば、作家太宰治は、読者の「下等な好奇心」を引き寄せるよう、作者と読者の通信欄とでも言うべき〈あとがき〉を逆用し、読者の〈読み〉を誘導しているのではないかと思われる。 |