『貧しき人々の群』は、宮本百合子の処女作で1916(大正5年)年9月号の『中央公論』に発表された。ここで『貧しき人々の群』を中心に、小作人の貧困生活及び貧困による人間の苦しさをテーマにして考察してみたいと思う。 この作品は福島県のK村における小作人の生活を語ったもので、農民が社会制度による不合理な、赤貧生活に陥っていることを記した。皆、人間として生存権利を持ち、法律で保護され最低限の基本的な生活をすべきだと作者は強く主張した。しかし、K村の小作人の生活の実像は、物質面でも精神面でもより豊かな者や力のある者に無条件に蹂躙された小作人であった。 物質的に不自由のない作者は独特な視野で、少女である<私>の目を通して思慮は深くないが、見たままのものこそ小作人の生活の実像、その貧窮と辛さを表現できると筆者は考える。<貧>と<苦>は作品の基調でありながら、東北農村の農民生活の辛さでもあった。当時17歳の百合子はすでに社会の貧富の格差に疑問を抱いていた。ここで<貧>と<苦>の検討を通して、作者のヒューマニズム文学は社会の最も貧困な人たちに対する関心から出発したとも言えると筆者は考える。 |