現代の日本で「外地」という言葉は、死語である。敗戦と同時に日本は、傀儡國家としての「満洲國」を含むすべての「植民地」を放棄したことになっているからだ。しかし、だからといって、現在の日本がかつての「內地」とそっくり一致するわけではない。現在の北海道へと內地人の組織的な移住が始まるのは、開拓使の設置(1869)以降だった。その後も移住者は自分のことを「內地人」だと感じつづけた。これはかつての「蝦夷地」がそもそも日本人の土地ではなかったという史実に対する日々の追認作業だったと考えるべきだろう。アイヌが內地からの移住者をしばしば「シャモ=隣人」や「和人」の名で呼ぶのも、同じ確認のための作業であった。アメリカ大陸先住民の歴史や現狀を見るにつけ、近代の國境がいかに先住民族の生活圏を寸斷・分斷するものであったかは明らかである。先住民族は國家間の國境紛爭に巻きこまれ、前線からの立退を命じられることも稀ではなかった。近代日本は、北海道(樺太や千島を含む)といった地域を、國境地帯としてではなく國土として領有することによって、「帝國」としての第一歩を踏み出したのである。 |