日本は日清戦争の勝利によって台湾を清朝中国から割譲され、台湾を植民地として統治を開始する。その半世紀に及ぶ台湾支配は行政的に確立した組織である台湾総督府によりなされた。台湾総督府の職員は日本各地から台湾に赴任してきた者だけでなく、現地台湾人も登用された。台湾総督府職員として赴任してきたものはどこか特定の地域出身者が多いのであろうか、また総督府の部署により、その傾向に違いが生じるのであろうか。台湾総督府による台湾統治は、確かに植民地統治の一形態であるが、その統治の中で台湾人はどのように登用されてきたのであろう。台湾総督府職員の登用は、『台湾総督府職員録』により、詳細を知ることができる。『台湾総督府職員録』明治31年から台湾日日新報社により発行されたが、職員の出身地が記載された最も古い職員録は明治36年分である。本稿では『明治36年台湾総督府職員録』を詳細に分析し、これまで試みられなかった各部署の出身地別リストを作成して、台湾総督府職員の出身地と台湾人の登用を分析した。これにより『台湾総督府職員録』から分析できる職員の出身地に関する基礎資料を提供した。 |