1940年に「山茶花」は『台湾新民報』に連載されてから、張文環の創作活動がピークに達し、作品も一段と成熟になった。本論文は当時読者層の設定、作家のモチーフを見出すことなどを試みたものである。40年代は「皇民化」運動が活発に展開されていた時期であり、台湾の農村を舞台にして描かれた「山茶花」は、かかる社会の流れに乗らない作品ではないかと思われるが、実際のところ農村青年も日本語教育の洗礼を受けたことを通して統治者の主体性に傾斜していく動きが、この作品によって読み取ることができる。このような「台湾的」(本島的)かつ「日本的」(内地的)なアイデンティティを混ぜ合わせた葛藤は、当時台湾社会の多元文化の一面を語っている。本文では、サルトルの理論を踏まえながら、その変化の過程を考察した。 また、女性に関する問題(女性としての自意識、教育を受ける権利、結婚問題など)は、張文環の作品によく描かれている題材である。「山茶花」によって、旧慣と新思潮のジレンマに挟まれた女性の叫びと苦悶が描かれていることが分かる。したがって、当時統治者が唱えた「陋習改善」という政策が成功ではなかったことが明らかになる。こうした女性像には、女性に自意識を喚起させようとする作家の試みがあると考えられるが、男性の視野に立って描き出したこのような女性像は、あくまでも男性中心主義の価値観を匂わせる。これについても、本論文で探求してみた。 |