本稿は、まず、透谷の文學思想である「想世界」描出の意図がどのように形成されたのかについて論じ、「想世界」と「崇高」「天來の心內生」「他界」などの概念の結合とその周辺の問題點について探ってみたい。つぎに、徳富蘇峰の思想への共鳴と追隨を論じ、そこから透穀が自身の思想の獨自性を認識していく過程を辿る。続いて、「人生相渉論爭」において透穀が山路愛山と蘇峰の何に反発したのかについて、生命主義の観點から論じてみたい。そして、最後に透穀の生命主義が短期間に衰弱して失敗に至った原因を、透穀自身の抱えていた問題點から考えてみようと思う。なお、引用した資料における舊漢字體は原則として新體字に改め、ルビは省略した。 |