ここ臺灣でも、一般に、日本では歴史的に女性の地位は、社會的法的に男性に従屬する地位に置かれてきたとする、漠然とした概念が流布しているように思われる。確かに平塚雷鳥が、明治四十四年(1911)、雑誌『青踏』を創刊、女性解放運動を開始したように、近代日本では法的にも、社會的にも女性は男性に比して下位に置かれたことは事実である。しかし日本の歴史を通覧すれば、平塚の『青踏』を「創刊號」冒頭の「原始女性は太陽であった。…」のようにまったく異なった狀況があったのもまた事実である。以下中世前期に焦點を當て、特に女性の相続権、財産権から、當時の女性の実像(の一分ではあるが)を求めてみたいと思うものである。 |