嘉永6年6月3日(西暦1853年7月8日)アメリカ東洋艦隊司令長官マシュー・カレブレイス・ペリー(M.C.Perry)提督の率いる四隻の「黒船」が江戸、浦賀へ押し寄せた。アメリカが「日本の開國」を促すために派遣した艦隊であった。太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)たった四杯(四隻)で夜も寢られづと、誰が作ったかとも知られぬこの狂歌は、二百數十年におよぶ長い長い徳川の太平の世にもたらされた西洋からの衝撃(Western impact)であった。そして、この時代の海洋をめぐる國際社會の潮流が、東アジアの端に位置する日本にも確実に押し寄せて來た。アメリカがペリー艦隊を日本へ送り、開國を迫ろうとしているという情報はすでに世界を駆け巡っていた。オランダもいちはやくこの情報を幕府に伝えていたし、ロシア帝國もまた事前にペリー訪日の情報を得ていた。 |