本稿は明末清初の仏教における一つの独特な参禅方式について考察したものである。即ち、この時代には呪文が禅語と見なされ、特に禅の話頭として参禅修行に導入する方式が存在したのである。本稿では、このような修法の発生の歴史的背景と、当時の仏教徒が呪に禅の意味を与えた際の理論的解釈を検討し、当時の仏教徒が呪文で参禅した実例を取り上げ分析してみた。また、明代以来の仏教呪文は学界が注目しているように神通力や感応を求める秘密の音節の功能に限らず、参禅の媒介としても使われていたということを明らかにしたい。このように、本稿は呪も帝制末期の中国仏教の融合思潮の中で、極めて重要な地位を占めていたことを指摘しようとしたものである。今回の考察を手がかりに、今後さらに研究を深めていきたいと考えている。 |