周知のように、『古事記』は和銅五年(712年)に成立し、八年後の養老四年に完成された『日本書紀』と共に古代の歴史書として位置づけられている。ところが、日本最古の文献でありながら近世まであまり知られていなかった。完成した翌年に講書があったほど編纂の当初から華々しく迎えられ、平安時代まで学習も度々行われた後者とは全く異なる様相である。ほぼ同時期に書かれたはずであるが、典故など注目されたことはあまりなかった。舎人親王を中心に律令国家の史書として六国史の嚆矢にもなった『日本書紀』とは異なり、一官人が上表した宮廷内部の文献ということにあったろうか。あるいは、正式な漢文体ではなく日本語に準えた変体漢文という綴り方は異質なもので、特殊な表現なども理解しにくかったかもしれない。 |