夏目漱石にとって中國・朝鮮はどのような存在だったのか、中國人・朝鮮人をどのように見ていたのか、そのことについて論じるときよく問題にされるのが、1909年(明治42年)9月2日に東京を出発してからもどってくるまでの46日間の満洲・朝鮮の旅を材料として書かれた「満韓ところどころ」(『東京朝日新聞』に同年10月21日から12月30日まで、『大阪朝日新聞』に10月22日から12月29日まで掲載〈休載あり〉)である。そして、後に詳しく引用するように、そこに漱石の「アジアに対する差別意識」や「蔑視」、「「満鉄」=帝國主義者の視線とまったく一致している」「漱石の視線」、「帝國主義の論理に染まっている」あり方、さらには「彼自身がほとんど自覚していない」「帝國主義への共鳴」というものを見る論がある。 |