1960年代後半頃、「過疎」が社會問題として取り上げられ、『経済社會発展計畫(1967年)』、『経済審議會地域部會報告(1967年)』といった政府の公式文書の中に、初めて「過疎」という言葉が出現した。1955以降日本の経済は高度成長期に入り、若者を中心とした雇用が急激に拡大、急速な重化學工業化政策が推進され、地方の若者は重要な労働力供給源となった。そのため、農山漁村地域から都市に大幅な人口移動が起こり、大都市地域では人口集中による「過密」になった。一方、農山漁村地域では人口の減少により、防災、教育、醫療など地域における基礎的な生活條件を確保することができなくなり、地域の生産機能が低下した。この地域で暮らす人の生活水準や生産機能の維持が困難になってしまう狀態を「過疎」といい、その地域は「過疎地域」と呼ばれている。 |