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篇名
鈕祜祿氏額亦都家族與清初內廷侍衛
作者 內田直文
中文摘要
本論文旨在探討順治帝至康熙帝時期,內廷與近御集團侍衛組織形成之相關問題。康熙帝於康熙八年重建乾清宮,建構以乾清門、乾清宮為中心,左右配以內宮、宮中衙門的內廷,使往後的皇帝得以在內廷擁有政治空間。又對當時同以專擅政權問罪的輔政大臣鰲拜、遏必隆採以不同的處分方式。亦即在監禁鰲拜的同時,卻免除遏必隆之處分,甚至命其於內廷擔任宿衛。遏必隆出身的鈕祜祿氏額亦都一族,自皇太極時期開始,即擔任近衛,擔負維護王權的重責大任,因此御前大臣、御前侍衛、乾清門侍衛者多出自此族。此一族之所以於內廷、近御集團形成時具有如此重要地位,其要因之一與遏必隆出身有關。遏必隆為額亦都與努爾哈赤第四女穆庫什之子。額亦都死後,穆庫什又嫁與額亦都第八子圖爾格,此聯姻與遏必隆等鈕祜祿氏額亦都一族成為侍衛組織的核心有著密切關聯。此一北方普遍存在的近親聯姻,在漢化的影響下成為忌諱,而猶如為隱蔽此事實一般,有清一朝多任用鈕祜祿氏額亦都一族為皇帝近御人員,使得此一族於清朝擁有特殊地位。內廷在剖析王朝權力構造上為重要課題之一。清朝內廷之形成,亦可視為清朝漢化的一面。而御前大臣、內廷侍衛的任命與穆庫什相繼嫁與額亦都、圖爾格父子的聯姻關係密切,鈕祜祿氏額亦都一族成為侍衛任命核心存在,顯現出北方民族的特質。歷來有關清朝國家之論述,以受漢化影響的中國集權專制王朝、或統治中國的滿洲王朝為等視點之研究不少,近年來亦出現強調其中亞王朝一面的論述。然而,如筆者所論,清朝融合了滿洲及中國的要素,於康熙時期形成了維護王朝統治秩序上具有重要地位的全新內廷及內廷侍衛組織。亦即清朝隨時代變遷,雜糅多方要素,蛻變為一嶄新「中華帝國」的視點之考察亦應值得重視。
英文摘要
清朝入関後、特に順治帝の親政からその皇位を継承した康熙帝の親政前後に至る內廷と侍従集団の形成について考察した。康熙帝は実質的な親政を開始する康熙八年に、執政の場である乾清宮を再建し、乾清門と乾清宮を軸に左右に內宮や宮中衙門を配する內廷を構成した。そしてオボイを監禁すると同時にエビルンを內廷に入直させ、エビルンの出自するニュフル氏エイドゥ家を中心に、清朝皇帝に直属して內廷を管掌する御前大臣‧御前侍衛‧乾清門侍衛が組織された。ニュフル氏エイドゥ家が內廷と侍従集団の形成に重要な役割を担ったのは、エビルンが父エイドゥとヌルハチの第四女ムクシとの間に出生したことが要因の一つにあげられる。さらに、実母ムクシはエビルンの異母兄であるトゥルゲイと再婚しており、こうした通婚が漢化の影響を受ける中で忌避され、それを隠蔽するかのように內廷に入直し、清朝における特殊な権門の位置を得るのである。內廷はその王朝の権力構造を明らかにする上で重要な検討課題の一つであるが、清朝における內廷の形成は、清朝の漢化の一面と見なすこともできよう。しかし、ホンタイジ時代にモンゴル諸部が清朝の版図に組み込まれた際に、力士集団がホンタイジの近衛を構成するなど、モンゴル文化の受容も見られる。さらに御前大臣や內廷侍衛の任命が、ヌルハチの第四女ムクシとエイドゥ‧トゥルゲイ父子の再婚が縁由となって、ニュフル氏エイドゥ家を中心に行われていることに、北アジア的な要素も認め得るのである。これまでの清朝国家論では、中国的な専制王朝や、満洲人による征服王朝、近年においては中央ユーラシア的な王朝としての側面を強調する傾向がある。しかし、時代の趨勢のなかで様々な要素を融合しつつ、これまでにはない新たな「中華帝国」として清朝を位置づける視点も重要と思われる。
起訖頁 17-54
關鍵詞 內廷鈕祜祿氏額亦都家遏必隆康熙八年乾清宮御前大臣御前侍衛乾清門侍衛
刊名 成大歷史學報  
期數 200906 (36期)
出版單位 國立成功大學歷史學系
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